2014年6月30日月曜日

阿曇・安曇(51)『古事記』邇邇芸命:天孫降臨


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(51)『古事記』邇邇芸命:天孫降臨

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:「日本古典文学大系」:127~129頁
     発行:岩波書店

 爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、

 伊斯許理度賣命、玉租命、并五伴緒矣支加而天降也。

 於是副賜其遠岐斯【此字三字以音】

 八尺勾璁、鏡、及草那芸剣、

 亦常世思金神、手力男神、天石門別神而詔者、

 此之鏡者、専為我御魂而、如拝吾前、伊都岐奉。

 次思金神者、取持前事為政。

 此二柱神者、拝祭佐久久斯侶、伊須受能宮。【自佐至能以音】

 次登由宇気神、此者坐外宮之度相神者也。

 次天石戸別神、亦名謂櫛石宺神、亦名謂豊石宺神。

 此神者、御門之神也。次手力男神者、坐佐那那懸也。

 故、其天兒屋命者、【中臣連等之祖】

 布刀玉命者、【忌部首等之祖】

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年6月29日日曜日

阿曇・安曇(50)『古事記』邇邇芸命:猿田毘古神


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(50)『古事記』邇邇芸命:猿田毘古神

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:「日本古典文学大系」:126~127頁
     発行:岩波書店

 爾日子番能邇邇芸命、

 将天降之時、

 居天之八街而、

 上光高天原、

 下光葦原中国之神、於是有。

 故爾天照大御神、

 高木神之命以、

 詔天宇受讀神、

 汝者雖有手弱女人、

 與伊牟迦布神、

 【自伊至布以音。】

 琴面勝神。

 故、専汝住将問者、

 吾御子為天降之道、

 誰如此而居。

 故、問賜之時、答白、

 僕者国神、

 名猨田毘古神也。

 所以出居者、

 聞天神御子天降坐故、

 仕奉御前而、

 参向之侍。


 爾に日子番能邇邇芸の命、

 天降りまさむとする時に、

 天(あめ)の八街(やちまた)に居(ゐ)て、

 上(かみ)は高天の原を光(てら)し、

 下(しも)は葦原の中つ国を光(てら)す神、ここにあり。

 故爾に天照大御神、

 高木の神の命以ちて、

 天の宇受讀め神に、詔りたまひしく、

 「汝(いまし)は手弱女人(たわやめ)にはあれども、

  伊牟迦布(いむかふ)神、

  【伊より布までは音を以ゐよ】

  と琴面勝(おもか)つ神なり。

  故、専(もは)ら汝住きて問はむは、
 
  『吾が御子の天降(あも)り為(す)る道を、

   誰ぞ如此(かく)て居る。』ととへ。」

  故、問ひ賜ふ時に、答へ白ししく、

 「僕(あ)は国つ神、名は猨田毘古(さるたひこ)の神ぞ。

  出で居る所以(ゆえ)は、

  天つ神の御子天降り坐すと聞きつる故に、

  御前(みさき)に仕(つか)へ奉(まつ)らむとして、

  参向(まゐむか)へ侍(さもら)ふぞ」。

  とまをしき。

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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2014年6月28日土曜日

阿曇・安曇(49)『古事記』邇邇芸命:天孫の誕生


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 阿曇・安曇(49)『古事記』邇邇芸命:天孫の誕生

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 出典:「日本古典文学大系」:124~125頁
     発行:岩波書店

 故、建御雷紳、返参上、復奏言向和平葦原中国之状。

 爾天照大御神、高木紳之命以、

 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、

 今平訖葦原中国之白。

 故、随言依賜降坐而知者。

 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命答白、

 僕者将に降装束之間、子生出。

 名天邇岐志国邇岐志【自邇至志以音】。

 天津日高日子番能邇邇芸命。

 此子應降也。

 此御子者、御合高木神之女、萬幡豊秋津師比賣命

 生子、天火明命。

 次日子番能邇邇芸命也。

 是以随白之、科詔日子番能邇邇芸命、

 此豊葦原水穂国者、汝将知国、言依賜。

 故、随命以可天降。  


 故、建御雷の神、返り参上(まゐのぼ)りて、

 葦原の中つ国を言向(ことむ)け和平(やは)しつる状(さま)を、

 復奏したまひき。

 爾に天照大御紳、高木の神の命以ちて、

 太子(ひつぎのみこと) 正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命に

 詔りたまひしく

 「今、葦原の中つ国を平(ことむけ)訖(を)へぬと白 せり。

  故、言依(ことよ)さし賜ひし随(まにま)に、

  降(くだ)り坐(ま)して知らしめせ。」とのりたまひき。

 爾に其の太子正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命、

 答へ白したまひしく

 「僕(あ)は降らむ装束(よそひ)しつる間、子生(れ)出でつ。

  名は天邇岐志国邇岐志(あめにきしくににきし)

  【邇より志までは音を似ゐよ】

  天津日高日子番能邇邇芸(あまつひこほのににぎの)命ぞ。

  此の子を降すべし。」とまをしたまひき。

 此の御子は、、高木の神の女(むすめ)、

 萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきづしひめの)命に

 御合(みあひ)して、生みませる子、

 天火明(あめのほあかりの)命。

 次に日子番能邇邇芸(ひこほのににぎの)命なり。

 是(ここ)を以ちて白したまひし随に、

 日子番能邇邇芸の命に詔(みこと)科(おほ)せて、

 「此の豊葦原の水穂の国は、

  汝(いまし)知(らさむ)国ぞと言依さし賜ふ。

  故、命の随に天降るべし。」

 とのりたまひき。 

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年6月27日金曜日

阿曇・安曇(48)海亀神[山積・山祇]


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(48)海亀神[山積・山祇]

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 海亀神[山積・山祇]

 愛媛県・越智郡

  大亀八幡大神社 ①名甲82(小字)大黒 ②八幡 大黒「クロ」

  χελυξ

  大頭八幡大神社 ①福田甲 頭ブ Tsv 大頭=大亀[知夫里島=島津島]

  原 八幡大神社 ①仁江

  海神社 ①本庄甲 ②本庄甲 ③名駒甲

  大山積神社 ①津島102

 津布理(三瓶町)

  宇和海北東部三瓶湾北部に注ぐ谷道船川下流の河口部に位置する。

  古来、東部宇和盆地の宇和海における海の玄関口の一つである。

 壺神山(長浜町・双海町)

  喜多郡長浜町大字戒川と伊予郡双海町大字串との境にある山。

  周辺の集落内には今も石壺や土器の壺を御神体とする祠が

  所々に残っており、

  少彦名命(薬壺)を祭神とする壺神山信仰と結びついている

  (壺神山地域観光診断報告書)。

 津波島(岩城村)

  岩城島の南方約1.7㎞にある島。

  間に赤穂根島があり、昭和の初期まで4戸あったが、現在は無人島。

 津宮郷

  [古代]平安期にみえる郷名。

  『和名抄』桑村郡の一つ。

  『和名抄』高山寺本は「津乃美也」と訓ずる。

  桑村郡にあった延喜式内社の布都神社鎮座地を

  現東予市石延に比定する説があるので、

  この地に比定する説が有力である。

 周布(東予市)

  「すふ」ともいい、周敷とも書く(西条誌・天保郷帳など)。

  周桑平野の中央部。

  地名は、このあたりは中山川の形成する扇状地扇端部に当たり、

  泉が湧いて州をなし稲作に適した地形であることによるという

  (周布村誌)

  [近代]周布村 江戸期~明治22年の村名。

 周敷郡(すふぐん)

  伊予国の郡名。「周布」とも書き「しゅうふ・しゅふ」とも読む。

  『和名類聚抄』『延喜式』をはじめ、

  中世の『捨芥抄』『吾妻鏡』も「周敷」と記すが、

  鎌倉期以後は「周布」も併用したようで、

  近世になると「周布」と書いて「しゅうふ」と読むことが多い。

 『和名類聚抄』桑村郡

  籠田郷 高山寺本・流布本ともに「籠田」と記し、

  高山寺本のみ「古多」と訓ずる。

  御井郷 高山寺本「三為」

  津宮郷 高山寺本「津乃美也」

 来島(今治市)

  高縄半島の北方来島海峡の中央。波止浜湾口に位置する。

  戦国期に来島水軍の根拠地として城砦が築かれ跡が残る。

  [中世]来島 室町期からみえる地名。越智郡のうち。

 来島郡島(今治市)

  愛媛県の北端高縄半島の北方。来島海峡とその周辺に散在する小島群。
  
  今治市に属する来島。

  小島(おしま)・馬島・比岐島(以上有人島)・

  小比岐島・平市島(無人島)と

  吉海町の津島(有人)・大突間・武志島・

  小武志島・中渡島(以上無人島)などを含む。

  来島海峡

 蔵敷・くらしき(今治市)

  今治平野の中央部、蒼社川下左岸に位置する。

  地内中央に今治城跡があり。

  地名は藩の蔵屋敷が並んでいたことに由来する。

 鴨部神社(旭町)、蔵敷町のすぐ東隣(旧)蔵敷の境内。

 鞍瀬(田原町)

  高縄半島南部、中山川の支流の鞍瀬川流域に位置する。

  [近世]鞍瀬村 江戸期~明治22年の村名。

 黒島神社(新居浜市)

  新居浜市黒島にある神社。祭神は大山積神、式内社。

  仁徳天皇の時代の創建とともいう。

  越智群郡大山積神とともに海上に神徳を発揮し、

  皇室をはじめ西条藩主の崇敬を集めた。

  斉明天皇が百済救済に赴く途中、船中で皇女が産気づき、

  この神社に祈願したところ安産したという伝承がある。

 黒島(新居浜市)

  北東部にある人工の陸繋島。もと大島(新居浜市)の付属島で、

  斉明天皇が命名したといわれる。かって村上水軍の根拠地。

 大黒(吉海町)

  吉海町の小字名、大亀八幡大神社がる。

  「オオクロ」大黒「クロ」

  χελυξ:大亀

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年6月26日木曜日

阿曇・安曇(47)天孫降臨:呼称の語義


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(47)天孫降臨:呼称の語義

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 天孫降臨[呼称の語義]

 『古事記』

 天照大御神

             おしほ みみ
 正勝吾勝速日天之忍穂耳命┐ ┌天火明(ほのあかり)命 AKHL 「食べる」もの「食」
             │ │
 高木神         ├─┤天邇岐志国邇岐志(あめにきしくににきし)
  │          │ │
 萬幡豊秋津師比売命───┘ └日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎ)
 よろずはたとよあきつし     │
                 │ ┌火照命(ほでり)(火の盛りに燒る時に生める子)
                 │ │     DR「住む」もの[住]
                 ├─┼火須勢理命(ほすせり)
                 │ │          SHZVR「編まれた」もの[衣]
                 │ └火遠理命(ほをり)[天津日高日子穂穂手見命]
                 │       WR穀物[食]
                 │
        大山津見神─┬阿多都比売(妹)(あだ)
              │[木花之佐久夜毘売命]
              │このはなさくや
              │
              │いわなが 
              └石長比売(姉)
 
 ※「番(幡)能」「火(の)」:

  「ホノ」HNTS 光る、日が昇る ◎芽が出る


 『日本書紀』

    天照大神
     │
    天之忍穂耳命 
        │   あまつひこににぎ
        ├───天津彦瓊瓊杵尊
        │      │
 たかむすび  │      │
 高皇産霊神  │      │
  │     │      │
  │よろづはた│      │
  └───萬幡姫      │
    [栲幡千千姫]     │
               │     ┌火酢芹尊(ほのすせり)
               │     │    (焔初め起こす時に共に生む児) 
               │     │    SHZVR「編まれた」もの[衣]
               │     │
               ├─────┼火明尊(ほのあかり)
               │     │    (火の盛りなる時生む児)
               │     │    ”ほでみ”AKHL 「食べる」もの「食」
               │     │
    大山祇神─┬神吾田鹿葦津姫(妹)  └彦火火出見尊(ひこほほでみ)
         │かむあたかしつ         VTYM 「家・建物」[住]
         │
         │[木花開耶姫]      [火折尊](ほのをり)
         │このはなさくや         ”をり”OHL 「天幕、テント」[住]
         │          
         └磐長姫(姉) 
          いわなが

 ◎阿多(記)、吾田(紀)[アタ]IDY 装飾品、装身具

  鹿葦津[カシツ]KSHT 飾られる

  [アタ・カシツ]ETKSHT 装身具を身につける、めかしこむ

  磐長[イワナガ]IWN-KHN 宝石

 ◎[ニニギ]NYN 孫、子孫、「にに」、

   GI[gi]葺「ぎ」:葺(原)の子孫:水穂国

  [ギ](芸・杵)GAE 高くなる、GWH 高い、高くなる:

  「高」/「天」>高天ヶ原


 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年6月25日水曜日

阿曇・安曇(46)天孫降臨:千穂・知舗


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(46)天孫降臨:千穂・知舗

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 天孫降臨:千穂・知舗(日向国風土記逸文)

 ○噌淤(現曽於)

  国分市上井 美ノ前 諏訪神社
 
   (sk.)subha 美麗な、美しい、立派な、よい(土地)、有用な、

         sobha  美麗、華麗、晴しい

  (Thai) スウェイ sowwa 美しい、良い

 ○襲 ソ:シュウ=噌淤 sobha,subha

 ○千穂(チホ)=知尾

   (sk.)tvis 美麗、光輝、光、光線、熱烈

 ○嘉例、嘉例川(隼人町)、葛例郷(和名称)、

  佳例川(福山町、国分市に接する)

   (sk.)caru 美しい、快い、愛想よい、(漢)美妙、妙、(奇)遮盧、遮婁

 ○郡田(こおりだ)(国分市)

   (sk.)gauratva 白きこと gaura 白色、美しい、輝ける

 ○福島(国分市)=串間(宮崎県)

    串間=棲日『日本書紀』

 ※曽於郡

   大崎町 崎=suci 光輝 照日神社(西谷)

   輝北町 輝

   松山町 松 match 火をつける

 ※大隈 隈=subh 美麗、大隈=vi-sibh(sumbhata)

   subh sumbhata,sumbhati,sobhate 

   美化する、美しく立派に見える、飾る、きらきら輝く

 ○重富(姶良町)島津家が越前島津家を再興するに当たり、

         越前(現福井市)の重富の名称をとった。

   福岡県山門郡山川町 重←四ヶ(しか)

   (大牟田市)=関(南関町)=seka

 『古事記』天孫降臨

 故爾に天津日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、

 天の八重多那雲を押し分けて、伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に

 宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の

 久士布流多気に天降りまさめしめき。

 (略)其の天忍日命、天津久米命是に詔りたまひしく

 「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、

  夕日の日照る国なり。故此地は甚与吉き地。」

 と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、

 高天の原に永橡多迦斯理て座しき。

 ○「吉き地」 (sk.)subha:よい土地

 ○「熊襲」クマ

   ①[γω-μο]”水‐大”大水 

   「襲」ソ=シュウsobha,subha「クマソ」よき水の土地

   ②[γω-μο]川・河・泉―主・王/井王:

    「クマソ」よき川(泉)のある土地の王家

 ○姫城(ひめき)(国分市) (sk.)vimaka 白い、輝く

  ⇒卑弥呼神社(隼人町宮内) (thai)vimon

  姫城(隼人町)姫木とも書いた。

   姫城城、比売妓城、姫木城、比売乃城ともいった。

   比売乃城「八幡宇佐託宣集」

   養老四年(720)から翌年にわたった隼人の抗戦

   「曽於乃石城=城山公園の隼人城、

   比売乃城=姫木城(国分市)の二城名」

 ◎隼人(はやと)

   (sk.)payo-da 雲、水を生ずる、乳を生ずる。
 
     Payo-dhi 海、貯水池

     payas 乳、水、雨

     payodhara 水の流れ

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年6月24日火曜日

阿曇・安曇(45)天孫降臨:天孫族


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(45)天孫降臨:天孫族

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦


 天孫降臨:天津神系[天孫族]『古事記』

 天之忍穂耳命 
    │   ┌─天火明命
    ├───┤
    │   └─日子番能邇邇芸命 ┌火照命
 萬幡豊秋津郎比売命   │     │
 (紀栲幡千千姫命)   ├─────┼火須勢理命
             │     │
 大山津見神─┬木花之佐久夜毘売命  └火遠理命
       │         
       └石長比売命      彦穂手見命
                    │
                    ├───鵜葺草葺不合命 ┌五瀬命
                    │       │   │
        ┌─豊玉彦──────豊玉毘売命    ├───┼稲永命
   綿津見宮─┤                   │   │
        └─────────────────玉依毘売  ├御毛沼命
                                │
                                └若御毛沼命

                                ─豊御毛沼命─

                                ─神倭伊波礼毘古命─

 波限建鵜葺草葺不合命

  皇后が産屋にこもるのは、繭を葺いて、その中で孵化するためである。

  玉依毘売が弟(夫)である鵜葺草葺不合命に与えた歌

   「赤玉は緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり」

  ○玉依「玉を依る」:玉とは「苫」にして繭の称で、

   その字義は「繭を編む」であり、

   「繭作りの虫」つまり蝅(蚕)を表す。

  ○鵜葺草葺不合命

   蛹が孵化して苫(葺草)を破って出てくることをいう。

   つまり鵜=蛾のことである。

   毛沼=つまり毛の生えた虫:卵からかえった蝅(蚕)の幼虫には毛が

   あり、脱皮するとなくなる。

 [天津神系『古事記』]

    天照大御神/速須佐之男命(天の安河の誓約・神生み)  
     ↓
 ① 太子正勝吾勝速日天之忍穂耳命
     ↓ 
 ② 天津日子番能邇邇芸命
   天津日高日子番能邇邇芸命
     ↓ 
 ③ 天津日高日子穂穂手見命
   虚空津日高<天津日高の御子、虚空津日高>
     ↓
 ④ 天津日高日子 波限建鵜葺草葺不合命
     ↓
 ⑤ 神倭伊波礼毘古命[神武天皇]
   若御毛沼命  
   豊御毛沼命

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年6月23日月曜日

阿曇・安曇(44)久士布流多気


 『Yahoo!天気・災害
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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(44)久士布流多気

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦


 鹿児島県国分市・隼人町:久士布流多気/空国(韓国)

 ◎久士布流多気:久満崎神社(鹿児島県姶良郡/国分市山下町・上小川)

 ┌<久士>――――<布流>―<多気>
 │kundi      pura    dake
 │壺・甕・水瓶 満ちた uda・udaka
 │ │      │   水
 │kundi     pura  seka
 │ │      │  流出・放出:泉水
 └<久>ク――――<満>マ――<崎>ン
        (千葉県流山市で豊四季とseka「シキ」となっているので
         「サキ」と訛っても可)

 ※久満崎:現国分市上小川城山公園 この台地を久満崎といい、

  久満崎神社はここに鎮座sきていた。

  日本歴史知名体系「鹿児島県の地名」平凡社

  「久満崎神社は昔隼人城の山続きである久満崎の山上にあり、

   国分郷の総社とされていたが、

   義久が伊勢大神宮を同郷総鎮守としたため、

   当村の産土神となったという」

   ○周辺の地名:

     小川(小河=古後)、清水、上井、川内、川原

     重久(南関町の九重(くしげ)との係わりはなさそうだ)

     知尾(重久、清水にこの地があった。

     吉田東伍『大日本地名辞書』が紹介):「千穂」としての遺称。

      乙宮神社(udaka)下井

 ※止山(とやま)神社(二上/高天ヶ原)

   dvi(=Eng.two):二上(『日本書紀』=上峯:智鋪

   国分市重久(旧東襲山村字重久)

    「王の御幸神事」四所の行幸、重久の樟社、弓張木社、

            弟子丸の小止山社、国分小川の幸田社

    「四所に仮宮を設け正月七日より廿七日まで

     神輿四个所を巡幸ありて、

     種々の式ありしを如何なる故にかありけむ、

     慶長の比より其式止みにきとぞ~」

  祭神:彦火火出見命

 ※手籠川(天降川へ合流)

  国分市北部重久、向花、新町、府中・姫城で合流

  水源・甑臺山(霧島町と財部町境)
 
 ※「日向国風土記」逸文”智鋪郷”

   「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、

    四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴(あか)りなむ」

   とまをしき。

   時に大鉏等の奏ししが如。千穂の稲を搓みて

   籾と為して、投げ散らしたまひければ、

   即ち、天開晴(あか)り、明照り光きき。

   因り手高千穂の”二上の峯”と曰ひき。

   後の人、改めて智鋪と號く。

 ※知尾・智能、知乃は知尾、智能とも書いた。

  知乃名 平安末期~室町期にみえる名田名、

  大隈国のうち、保延元年(1135)2月1日および

  同年2月2日の宮永社役友配状に「武内宮御修理役」を

  配り当てられた所領(国分市清水字堤田)のうちに

  「知乃壱町伍段八寸七分」
 
  ・曽於郡⇒「曽野郡」と表記。

  曽於

  智得名 鎌倉期にみえる名田名、大隈国曽於郡のうち(国分市)。

      正応四年11月日の台明寺田地注文に忘日田として

      「寄田四段<智得(現国分市新町字溝添≒溝副)経由~」

      「溝副五段<経由、智得」

   知尾(sk.tvi)=智得(sk.tvi(e) )美、光輝、淤=野・能

  重久名 鎌倉期にみえる名田名、大隈国曽於郡のうち、

      建治二年(1276)8月の大隈国在庁石築地役配符に

      「曽於郡……重久名十三丁」とある

       (調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)

  重留名 鎌倉期~室町期にみえる名田名

  重富名 鎌倉期にみえる名田名

   留・富=知尾:(sk.tvi)(sk.tvi)美、光輝

 『日本書紀』神代 

  一書に曰はく、高皇産霊尊、真床覆衾を以て、

  天津彦、国光火瓊瓊杵尊に裹せまつりて、

  即ち天磐戸を引き開け、天八重雲を排分けて、降し奉る。

  時に大伴連の~、

  遊行き降来りて、

  日向の襲(そ)の高千穂の槵日(くしひ)の二上峯(ふたがみのみね)
   
  の天浮橋に到りて、

  浮渚在之平(うきびまりたいら)地に立たして、膂宍の空国を、

  頓丘から国覓ぎ行去りて、吾田の笠狭の御碕に到ります。

  天忍穂耳尊、天に復還ろたまふ。故天津彦火瓊瓊杵尊、

  日向の樓日の高千穂の峯に降到りまして、頓丘から国覓ぎ行去りて、
  
  浮渚在之平地に立たして、乃ちへ、

   樓日:[γω-tsh-V]開溝引水:池・泉、井(姶良郡溝辺町)

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年6月22日日曜日

阿曇・安曇(43)天孫降臨


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(43)天孫降臨

 課題:阿曇族と天孫降臨伝承
    ―海神の宮の物語が隠している日本の創世―

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 「天孫降臨」

 正勝吾勝速日天之忍穂耳命

 熊本県玉名郡長州(ナス)町永方 (長渚ガス「肥後国志」)

  『永方(にほ)神社』宮野・宮崎

 (海部氏系図)平安初期の筆写:正我吾勝也速日押穂耳命

               ◎正哉吾勝也速日押穂耳命

 『古事記』

  まさかつ あ かつかち はやひ あまのおしほ みみ
 天照御神―正勝吾勝速日天之忍穂耳命─┐  ┌天火明(ほのあかり)命
 (我が御子)    (織匠)      │  │
                   ├──┤天邇岐志国邇岐志(あめにきしくににきし)
       よろずはたとよあきつし │  │
 高御産巣日神―萬幡豊秋津師比売命──┘  └日子(番・幡)能邇邇芸命
 ―高木神―  (栲幡千千姫命・紀)


 正勝吾勝速日天之忍穂耳命┐ ┌天火明(ほのあかり)命
             │ │
             ├─┤天邇岐志国邇岐志(あめにきしくににきし)
             │ │
 萬幡豊秋津師比売命───┘ └日子(番・幡)能邇邇芸命
                 │
                 │ ┌火照命
                 │ │ 
                 ├─┼火須勢理命
                 │ │
                 │ └火遠理命
                 │
        大山津見神─┬木花之佐久夜毘売命
              │
              └石長比売命


 天之忍穂耳命 祭神
 
 ・鳥取県米子市勝田神社(元弓ヶ浜)須佐

 ・島根県飯石郡掛合町掛合 狭長(さなが)神社(出雲風土記)

  佐中(風土記・須久奈比古命・大穴持命”稲種(キぬた)”を多称郷←ここに落とした)

 《参考》


 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2014年6月21日土曜日

阿曇・安曇(42)三国志魏書倭人伝


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 《参考:年表・資料》 

 阿曇・安曇(42)三国志魏書倭人伝

 海洋族阿曇族の日本定着と拡大
 ―魏書倭人章の投馬国と「トミ族」―

 出典:東洋文庫「アジア民族史」
    290~293頁

 「三国志魏書倭人伝」

 倭の人々は「帯方〔郡〕の東南にあたる

 大海の中の〔島々〕に住んでいて、

 山や島によって国や村をつくっている。

 もとは百余の国々に分かれていて、

 漢の時代には朝見して来る国もあった。

 今、通訳をつれた使者が〔中国や帯方郡に〕通って来る所は、

 三十国である。

 ※この部分は、『漢書』地理志の倭人の記事に、

 魏醜時代の知議を付加して書いたものである。

 〔帯方〕郡より倭に行くには、郡を出発して、

 まず海岸に沿って航行し、

 韓〔族〕の国々を歴て、

 乍(しばらく)は南に、乍は東にすすんで、

 その北岸の狗邪韓国に到着する。

 〔この間の距離は〕七千余里である。

 〔そこから〕始めて一つの海を渡り、

 千余里にして対馬国に到着する。

 この国の大官は卑狗といい、

 次〔官〕卑奴母離という。

 住んでいる所に海に囲まれた孤島で、

 広さは四百余里四方ほどである。

 土地は山が嶮しく、深林が多く、

 道路は禽獣が通う小径のようで、狭く嶮しい。

 〔家は〕千余戸ある。

 良い耕地がなく、人々は海産物を食糧として自活しているが、

 船によって南北〔の国々〕から米穀を買い入れてもいる。

 次に南へ海を渡り、千余里すすむ。

 この海の名は瀚海といい、一大国(壱岐)に到着する。

 〔この国の長〕官もまた卑狗といい、

 次〔官〕は卑奴母離という。

 広さはほぼ三百里四方である。

 〔この国には〕竹木や叢林が多く、三千ばかりの家不ある。

 耕地は少々あるが、耕地を耕すだけでは

 食糧を確保することができないので、

 〔対馬国と〕同じく南北から米穀を買い入れている。

 また一つの海を渡り、

 千余里行って末盧国〔佐賀県松浦郡〕に到着する。

 人家は四千余戸あり〔人々は〕山裾や海浜に沿って住んでいる。

 草木が繁茂して、

 〔道を〕すすんでいっても前に行く人の

 姿を見ることができない〔ほどである〕。

 〔この国の人々は〕魚や鰒を捕らえることが得意で、

 水の深浅に関係なく水中に潜っては

 それら(魚やあわび)を捕えている。ニ

 陸上を東南に五百里すすむと、

 伊都国(福岡県糸島郡)に到着する。

 〔長〕官は爾支といい、

 次〔官〕泄謨觚と柄渠觚という。

 人家は千余戸ある。

 代々国王がいて、みな女王国に統属している。

 〔ここは帯方〕郡からの使者が

 倭と往来する時に常に駐まるところである。

 〔伊都国から〕東南に百里すすめば奴国(福岡市)に到着する。

 〔長〕官は兕馬觚といい、

 次〔官〕は卑弥母離という。

 二万余戸の人家がある。

 〔奴国から〕東に百里すすめば不弥国に到着する。

 長〔官〕は多模といい、次〔官〕は卑奴母離という。

 千余戸の人家がある。

 〔不弥国から〕南へ水行二十日すすむと投馬国に到着する。

 〔長〕官は弥弥、次〔官〕弥弥那利という。

 五万余戸の人家がある。

 〔投馬国から〕南にすすみ邪馬壹国に到着する。

 ここは女王の都している所であり、

 〔投馬国から〕水行十日、陸行一ヶ月〔の日数が〕かかる。

 〔長〕官には伊支馬があり、

 次〔官〕を弥馬升、

 次を弥馬獲支、

 つぎを奴佳鞮といい、

 七万余戸〔の人家〕がある。

 女王国より北にある国々については、

 その戸数やそこへ行く道里(みちのり)を

 だいたい記載することができるが、

 その他の周囲の国々は遠く距っていて

 〔それらの戸数や道里を〕詳細に知ることができない。

 帯方郡
  ↓  水行七千里

 狗邪韓国(金海)
  ↓  渡海千里

 対馬
  ↓  渡海千里、千余戸 

 一大(壱岐):一支、三千許家
  ↓  渡海千里

 末盧(松浦)
  ↓  陸行東南五百里

   →伊都国(糸島) →  奴国(博多 → 不弥
          東南百里        ↓ 南水行二十日

                      投馬
                                          ↓  南水行十日(1ヶ月)
                                               陸行1ヶ月(十日)
                                          邪馬壹
 
 ※伊都国から放射状に奴国以下をおく説がある。

 つぎに斯馬国があり、つぎに巳百支国、つぎに伊邪国、

 つぎに姐奴国、つぎに対蘇国、つぎに蘇奴国、つぎに呼邑国、

 つぎに華奴蘇奴国、つぎに鬼国、つぎに為吾国、つぎに鬼奴国、

 つぎに邪馬国、つぎに躬臣国、つぎに巴利国、つぎに支惟国、

 つぎに烏奴国、つぎに奴国(重複か)などの国々がある。

 ここまでが、女王の支配している領域である。

 その南には狗奴国があり、男子が王となっている。

 その〔長〕官に狗古智卑狗がおり、この国は女王に服属していない。

 帯方郡より女王国に至る間の距離は一万二千余里である。

 〔倭〕の男子は、大人・小人の〔身分の〕別なく、

 みな顔や身体に入墨している。

 古くから〔倭〕の使者は中国に来ると、

 みなみずから大夫と称している。

 〔その昔〕夏〔王朝の第六代の皇〕帝 少康の子が

 会稽(浙江省紹興市地方)に封ぜられた時、断髪し入墨して

 蛟竜(みずち)の害をさけ〔身体を守っ〕た。

 いま倭の水人が水中にもぐって魚や蛤を捕えるのに入墨するのは、

 〔少康の子と同じように〕

 大魚や水鳥の害を防ぎ〔身体を守る〕ためである。

 しかし今ではそれが次第に飾りにもなっている。

 〔倭の〕諸国ではそれぞれに入墨の仕方も異なり、

 或いは左に、或いは右に、或いは大きくし、或いは小さくし、

 また尊卑〔の身分〕によって〔入墨に〕違いがある。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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