2013年7月31日水曜日

『天の稚彦物語』の「ホヒ」は誰か


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:11頁

 しかしまだ問題が残る。

 それは「ホヒ」は「女性」という限定がある点である。

 これも単なる比喩で、史実とは無関係なのであろうか?。

 この答は、

 もういちど下のようにパーリ語の意味を整理して観察すると、

 正しい答が見抜ける。

  Bhavati ①有る、存在する。②尊尼、尊姉。

  Hohi    ③命令形「居れ・居よ」「人々を善導する尊尼になれ」

 この「居よ」は当て字では「居世」になる。

 これは赫居世の居世である。

 彼女なら間違いなく「女性」であり、「尊尼」である。

 ただしこの称号を壹與に限定すると

 彼女はソナカが卑弥呼と結婚した当時には、

 まだ生まれてはいない。

 前任者・卑弥呼を指しているとわかる。

 卑弥呼なら確かにソナカより先に南九州へ行き、

 その後でソナカが行く。

 すると「居世」というのは、壹與の読み替えではなく、

 この hohi の翻訳が語源だったとわかる。

 それも「尊尼で居よ」という任命の言葉の一部分を、

 称号と誤解して記録したものである。

 これと同じ誤訳は大学講義録24の11頁でお話しした

 「アマ ゼウス」のアマ(と共に)が「天」になり、

 「ポセイドン」が百済と出水または出雲と当て字されて、

 それぞれ独立した国名や称号として名乗りに使われるなど、

 沢山な実例が残っている。

 《『天の稚彦物語』の「ホヒ」は誰か
 「『天の稚彦物語』の「ホヒ」は誰か

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2013年7月30日火曜日

「ホヒ」は誰か?、史実か、比喩か?


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:10頁

 在来のように、これを個人名として疑わず、

 男性と決め手かかっていては、

 歴史の真相などわかるはずがないし、

 学問ともいえないというしかない。

 私たちはせっかく懸命に真の史実を復元しようと努力しているのだから、

 中途半端な言語復原で終わっては後に悔いを残す、

 やりかけたら、

 たとえ一部分でも完全な成果を挙げるべきで、量よりも質である。

 このホヒは、そのことを印象的に教えてくれる優れた教材である。

 後進の指導に当たられる際には、

 よくご活用いただくようお願いしたい。

 さらに追及すると、

 ホヒは「火火(ホヒ)」でもあるから、

 彦火火出見=山幸=位宮であり、

 火の神のカグツチでもある。

 こうわかると、

 彼は妻の狭穂姫を狭穂彦の稲城とともに焼いて失ったから

 伊弉冉尊の夫・伊弉諾尊でもある。

 その時、カグツチを斬り殺したというのだから、

 自分で自分を斬って自殺しなければならないが、

 そんなことはしていない。

 そのとき位宮=垂仁天皇が討ったのは狭穂彦だから、

 カグツチは狭穂彦である。

 そのとき生まれたのは「火中に生まれた故、

 その御名を本牟智(ホムチ)(=火内(ホヌチ))和気御子と称すべし」と、

 『古事記』が書く皇子で、

 こちらは斬られていないから、

 カグツチ斬りは史実ではなくて、

 皇后の死という悲劇の原因を作った二人の人物を

 総合した高度の比喩だと言うことになる。

 《「ホヒ」は誰か?、史実か、比喩か?
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2013年7月29日月曜日

重要な建国記録『天の若日子物語』の「ホヒ」


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:9頁

 その登場がなぜ問題かというと、

 このホヒという「命令詞」が、

 卑弥呼が結婚したソナカの前任者だった「人物」として登場するからである。

 このおかしさは翻訳者の未熟のせいだとしか判断できないが、

 「それで済ませてしまってはいけない」という例として最適なので、

 ここで少し念入りにお話ししておく。

 大学講義録23では

 それを訳文の原文に忠実に「繁栄皇子」として扱ったが、

 それでは在来のものより、

 僅かに進歩したというだけで、

 真の史実の復元にはならないという点を、

 特にご直視いただきたいと思う。

 『日本書紀』「神代 下」「天孫降臨」章の冒頭 

 [高皇産霊尊が、天孫に治めさせたい豊葦原瑞穂の国を、

  前もって平定しておくには、誰を派遣したらいいかと神々に尋ねると、

  神々は皆、異口同音に

  「天穂日命(アマノ ホヒ ノ ミコト)がいちばん傑出しています。

   彼をお試しになってみては……」と答えたので、

  それに従って彼を派遣したが、

  穂日の命は皇葦原瑞穂の国の

  大己貴(オオナムチの神に丸めこまれて戦わず、

  3年たっても報告もしない]。

 ここではホヒは名詞のように扱われているが、

 パーリ語のホヒは

 「居れ・居よ」「人々を善導する尊尼たれ」

 という意味の命令詞である。

 「ホヒ」とはこの命令を受けた人物の「代名詞」であり、

 その性は「尊尼」すなわち「女性」なのだとわかるのである。

 その登場がなぜ問題かというと、

 このホヒという「命令詞」が、

 卑弥呼が結婚したソナカの前任者だった「人物」として登場するからである。

 このおかしさは翻訳者の未熟のせいだとしか判断できないが、

 「それで済ませてしまってはいけない」という例として最適なので、

 ここで少し念入りにお話ししておく。

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2013年7月28日日曜日

同形語の調査が新しい発見につながる


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:8頁

 私たちは、

 こうした物語を話すときも、

 会話を交わすときもどちらも「話す」というし、

 また徹夜で話したことを「語り明かした」といって、

 話すと語るを区別せずに使っているが、

 私(加治木義博)が南九州に住んでいた終戦直後までは、

 その地方では会話は「話し」といい、

 物語をして聞かせるのは「カタる=語る」といって、

 はっきり区別していた。

 この「語る」の語源は、

 パーリ語の「katha カター 物語」である。

 「話し」のほうは訛りの修正がいるが、

 それが後の説明に重要な役割を果たすので、

 飛ばし読みをしないようにお願いする。

 「話し」のパーリ語は「bhanati ブプハナチ」なので、

 一見、「話し」とは関係なさそうに見えるが、

 ブハナチは沖縄語ではバナチになり、

 南九州語でバナシ(本土語でも語尾にくればバナシと発音する)、

 それが清音化してハナシになるので「話し」の語源でもあることがわかる。

 「ブハナチ→バナチ→バナシ→ハナシ=話し」なのである。

 このbhanati プハナチに近い言葉に 

 「bhava ① 「繁栄」があり、

 「bhavatiブハバチ ② 「有る、存在する」 ③ 「尊尼、尊姉」。

 という言葉がある。

 この言葉は命令形になると「hohi ホヒ」に変わる。

 「居れ・居よ」と、

 「人々を善導する尊尼たれ」という意味である。

 これが本講23の25頁以下でお話した

 『天の稚彦物語』の始めに登場する。

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2013年7月27日土曜日

建国史・資料発見の手掛かりは登場者名


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:7頁

 ホムツワケは

 『日本書紀』は「誉(ホム)津別」、

 『古事記』は「本牟智和気」、

 『三国史記』は

  高句麗本紀の山上王・位宮の子・東川王「郊彘=ホンテイ」と書く。

 オオヒルメ伝説のある

 『大隅正八幡縁起』では「八幡」だから、

  八幡と呼ばれる応神天皇をみると、

 『日本書紀』は「誉田天皇」、

 『古事記』は「品陀和気」、

 『三国史記』は東川王「憂位居=ウイコ」だ。

 このウイコは南九州語では「瓜子」のことである。

 今も野生しているカラスウリ=烏瓜の若い実は

 濃緑と淡緑の縦縞模様があるが

 熟してくると縞が消えて赤くなる。

 イノシシ=猪の子も瓜子という。

 幼いときは縦縞模様があるが

 成長につれて縞が消えて褐色になるからだ。

 東川王の別名「郊彘=ホンテイ」とは野ブタ=猪のことだから、

 「憂位居=ウイコ=瓜子」で同じ意味の名前だとわかる。

 南九州語だと断定できるのはそのためで、

 それは朝鮮語ではないことと同時に、

 彼等は南九州人だと断定できるということでもある。

 この瓜子の名をもった姫が

 アマンジャク=天の邪鬼に苦しめられる物語は全国的にあるが、

 内容は桃太郎の挑が瓜に、

 太郎が姫にかわっただけの誕生から、

 瓜を塗り桶(おけ)に入れておくと姫に変わっていたというものまで種類がある。

 その名と話の構図が連想させるとおり桃太郎・赫夜姫などと同じく、

 位宮と壹與の事件がもとで生まれた建国物語群の中の一つである。

 《建国史・資料発見の手掛かりは登場者名
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2013年7月26日金曜日

史料の「時代」を特定するシステム


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:6頁

 ではこのカグツチは、いっの話か?。

 カグという名は、

 パーリ語のvivasana ビバサナという


 「夜の暗さに明りがさして明るくなる現象」を

 イメージしてつけた

 vivas=ビバス姫=日葉酢姫という名がなければ、

 赫夜姫という名も生まれなかったのだから、

 ①=日葉酢姫、

 ②=赫夜姫、

 ③=赫・鹿児之国、

 ④=鹿児津王=カグツチ

 という順番になり、

 日葉酢姫より後に赫夜姫という別名が使われ始め、

 彼女が女王として君臨したことで最初の

 「鹿児之国」が生まれ、

 彼女が第1代の王になった時より後の、

 第2代以後の王だということになる。

 鹿児島という地名は卑弥呼時代のものではない。

 そのことは旁国の中に入っていないことで、

 すでに事実だと証明されているし、

 またそれは最初から鹿児島と呼ばれたのでもない。

 赫夜姫という名が女王の名として知られるようになった後で、

 呼ばれるようになったカグへの当て字が鹿児や籠であって、

 首都に当たる国名だったのである。

 また籠の字が使われたことは、

 薩摩半島南端の市・枕崎が今も

 「籠の枕崎」と呼ばれることでもわかる。

 すると時代はさらに細かく特定できることになる。

 後世の応神天皇も「鹿児の王」だが、

 その記事では同じ鹿児が「カル」と発音されているから、

 それ以前である。

 日葉酢姫=壹與は

 幼児ホムツワケを連れて海を渡ったオオヒルメだから、

 これもまた非常に役に立つ。

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2013年7月25日木曜日

『竹取物語』にみる史実の裏打ち


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:5頁

 軻遇突智(カグツチ)という名が、

 赫夜姫や赫居世の近親者の名である以上、

 その語根のカグが赫と同じものであることは、

 まず異論なく確認できる。

 するとそれに続くツチもまた彼等は皆、王の一族だから、

 「の王」を意味する「津王=ツキ」の沖縄発音「津チ=チチ」。

 大隅発音「津チ=ツチ」だから、

 このカグツチの話は大隅生まれの説話だとわかる。

 これで、まず赫夜姫が連れて行かれた「月の宮居」のツキとは、

 王の御殿、天皇の皇居だったとわかる。

 たかの知れた童話ぐらいに思ってきた『竹取物語』は、

 こうした細部にまで史実の裏打ちがあることを、

 しっかり心にとめておかねばならない。

 カグツチも同じである。

 それは大隅人から見て「赫の王」、

 すなわち

 鹿児之王=カグシ王=[赫(カ)居(グ)世(シ)]という

 当て字にぴったり一致する。

 壹與が赫居世だという証拠は大量にあってすでに確認ずみだから、

 彼女のことということになるが、

 カグツチは母の死後、

 ただちに父・伊弉諾尊に斬られて死んだから、

 生きていて女王になった壹與ではない。

 とすればそのカグツチとは、

 鹿児の王という名乗りをもった別人だということになる。

 それは誰なのだろう?。

 同じ名乗りは次々に継承されるから幾人もいる。

 それを区別できるのは「時間帯」だけである。

 それはいつの人、いつの話かがわかれば特定できる。

 《『竹取物語』にみる史実の裏打ち
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2013年7月24日水曜日

建国史最大の謎、2種の貴子誕生譚


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:4頁

 それだけではない。

 もう一つこれまで『日本神話』と呼ばれてきた

 建国史の説話化部分の謎がこれで解ける。

 それは日本古代史中でも最大の謎の

 「伊弉諾尊・伊弉冉尊夫妻が生んだ天照大神姉弟」の誕生と、

 父の

 「伊弉諾尊が一人で水浴し、

  目鼻を洗った時に生まれたという天照大神ら3姉弟」との、

 全然異なる二つの貴子誕生譚が対立して存在する謎である。

 その謎が、

 母の伊弉冉尊を殺した軻遇突智(カグツチ)も、

 この赫夜姫とおなじ「かぐ」の語根をもっていることで解けるのである。

 それは鹿児島の名を生んだ赫夜姫→日葉酢姫より前の事件ではない。

 それを『神話』だと受け取ると、

 彼が生まれた時、

 その火で母を焼き殺したという点に気をとられて、

 インドの火の神アグニのほうに眼が向いてしまうが、

 それは比喩としてつけ加えた脚色部分で、

 現実にはありえない事件である。

 そんな脚色は謎の実体が明かになったあと、

 作者の教養の底にあった文化を知る手掛かりとして、

 さらに掘り下げるのには役立つが、

 私たちは神話学者ではない。

 逆の視点から逆行すると

 過去の神話学者の陥った失敗を繰返すだけである。

 私たちの仕事は、

 比喩を生んだ「カグツチ」という発音からまず真相を見つけて、

 全体像を見極めた上で、

 さらに「証拠による史実」を集めて復元し、再構築することなのだ。

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2013年7月23日火曜日

日葉酢姫のパーリ語・語源が語る真相


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:3頁

 大学講義録25で

 日葉酢姫を弥馬升(ミーマンサー)に当てたが、

 それは位宮の立場を説明するのに必要だったからで、

 語源の説明は本号に残した。

 だが実はその日葉酢という名そのものが、

 パーリ語々源の独特な仏教用語で、

 彼女と卑弥呼の「仏教女王としての地位」が、

 それだけでも完全に立証され、

 それによってさらに大きな視野が開けて、

 より深い歴史の真相を物語る、

 重要極(きわ)まりない、見過ごすわけにはいかない名である。

 それからお話ししていこう。

 パーリ語にはvivas=ビバス=日葉酢という実にぴったりの言葉がある。

 これは「家を遠く離れて住む」という意味のvivasati ビバサチや、

 「夜明り、曙・暁明」といった、

 夜の暗さに明りがさして明るくなる現象をいう

 vivasana ビバサナという言葉の、語根になっている。

 「家を遠く離れて住む」というのは

  竹取りの翁の養女になった赫夜姫の運命であり、

 「夜の暗さに明りがさして明るくなる現象」を名詞にすれば、

  ぴったり「赫夜」になる。

 Vivas=ビバス=日葉酢というパーリ語がなければ

 「養女」赫夜姫は生まれないし、

 赫夜姫や迦具夜比売という名も、

 赫居世という名も生まれないし、

 鹿児之国(カグシマ)=鹿児島という地名も、

 応神天皇の都・軽(鹿児(カル))も、
 
 明(阿鹿児(アカル))の宮という皇居名も生まれなかったのである。

 これまで個人名として見過ごされたこの名の重要さがおわかり戴けたと思う。

 《日葉酢姫のパーリ語・語源が語る真相
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2013年7月22日月曜日

誤解を生むのは祭礼のシンドゥ行事のせい


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:33~34頁

 オリンピアスの蛇は、

 デルプォイ神殿の巫女・ピューティアが使った大蛇ピュートーンで、

 アポルロンがその蛇を退治て

 デルプォイを自分の神殿にしたというのは、

 素戔鳴の尊が八俣大虵を退治て、

 自分の政権をたてたのと全く同じ説話化で、

 オリンピアスと比較してみると、

 夫を暗殺して自分の主張を通した彼女の場合は、

 これと男女の性別が逆である。

 日本の建国説話の特徴は、

 「支配者は男性」という主張が最重要命題になっている点だ。

 それはまず「国生み」に男尊女卑の主張が明瞭に見られ、

 [八俣(=山田)大虵(ウチ)(=字冶・内)=宇治山田の内宮=天照大御神]を

 退治た素戔嗚の尊の勝利に見てとれる。

 ギリシャでのオリンピアスとプヒリプの悲劇を教訓に、

 暗に非難しているように見えてくる。

 それはこの竜蛇伝承が我が国にも脈々と流れていて、

 いかに共通の血が濃いかを立証しているからである。

 その伝承は3000年以上前の、

 茨城県稲敷郡の縄文遺跡・福田貝塚に遺っていた

 「人面注口器」(西宮市・辰馬資料館蔵)と、

 それと20以上も共通する竜体表現をもつ

 3000年前の

 殷の銅器「人面盉=人面注口器」(ワシントン・フーリヤ美術館蔵)以下、

 漲水岳から倭迹迹日百襲姫の小蛇(オロチ)・蛇の婿入り物語など

 数々の三輪山型伝説。

 豊玉姫・御諸山の大蛇(オロチ)・竜宮・安珍清姫などに

 見事に連なって残っているのである。

 従来中国の文化だとされてきた四神の「玄武」は、

 私たちには黒と高(たけ)を意味し、

 高句麗(タカクロ)という国名と全く同じだとわかっている。

 そのトーテムは亀と蛇。

 その亀がなぜ象徴だったかもよくわかったが、

 ここまでくると不明だった蛇も何だったか、

 ご理解戴けたと思う。

 京都の祇園(ぎおん)、

 飛騨(ひだ)の高山などの曳(ひ)き山(やま)祭(まつ)り、

 山車(ダシ)・壇尻(ダンジリ)を使う

 全国的な「ヤマ祭礼」は、

 すべて、現在も

 インドや東南アジアなどで見るシンドゥ祭礼と全く同じで、

 大隅の

 「大人弥五郎どん祭り」を最古に全国に広まったものだが、

 大隅町の囃子言葉は「ダンジイ討った」で、

 ダンジイは大人の訛りだとわかる。

 南九州語は大人をウドと発音するからすぐ近くの

 宮崎県日南市の旧官幣大社鵜戸(うど)神宮と同音だ。

 大人はダイジンとも読むので大神でもある。

 この神宮は海岸にあって本当の神殿は岩窟である。

 デルプォイ神殿もまた岩窟で有名な遺跡を残しているから、

 鵜戸神宮は元は大神宮だったものが、

 大神→大人→鵜戸と当て字が変わったとみると、

 大神宮=ウジンミヤ=オリンピヤだ。

 壇尻(ダンジリ)や山車を使っているからシンドゥだと単純にはいえない。

 言語復元によらない原始的な比較文化は、

 学術の中には入らないのだ。

 「弥五郎どん祭

 「ドウセラの祭・インド

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2013年7月21日日曜日

眼で見る『日本人のルーツ』


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:31~32頁

 「八俣大蛇の正体は」

 こうしして古代日本とインドのつながりを深く知ると、

 八俣大蛇とは何であったかが、はっきりする。

 それは古代インドの信仰に大きな役割を果たした

 ビシユヌー神の一部であるアナンタであり、

 ビシユヌーを宇宙の主宰者とする信者たちである。

 それを討ったスサノオノミコトは、

 シバ神を主宰者と信じる人々の投影であるが、

 次ページのギルガメシユ神話など太古の怪物退治伝承との複合もみられる。

 面白いのはこれらの主人公の名が、互いに方言関係のように、

 一つの名からナマってできたことがわかる点である。

 「アナンタ竜にいこうビシユヌー大神 ヒンドウ教の絵巻物 インド」

 「ギルガメシュ神像」

 イラン出土 紀元前1000年
  
 紀元前20世紀ごろの、

 バビロンの叙事詩に登場する英雄ギルガメシユは

 生命の草を奪った怪蛇を退治する。

 「世界の竜退治伝説は無関係か」

 ギルガメシュを最古に有名な

 ベルセウスメヅーサ退治(ギリシャ)や、

 北欧のジグルト、

 ドイツのジーク・フリート、

 キリスト教国のセント・ジョージ、

 インドのクリシュナ、

 インドネシアのアジサカ王子など、

 八俣大蛇退治と共通した話は、世界に広く分布している。

 その中でも一番広く知られているのが、

 ペルセウスとアンドロメダ姫の神話なので、

 こうした伝説の仲何を一括して

 ベルセウス・アンドロメデ型親和と名づけている。

 八俣の大蛇退治が、

 この型に入ることは

 イギリスのアストンやハートランドらによって、

 はやくから指摘され、現在も大林太良氏らの、

 その伝播コースなど詳しい研究があり、

 定説の一つとして世界の学界に認められている。

 「セント・ジョウージ」

 「アジサカ王子と竜王」

 「ベルセウスとアンドロメダ」

 「クリシュナ」

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2013年7月20日土曜日

真の『神道史』を証言する八俣大蛇の国際的重層


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:30頁

 天皇家の信仰の歴史を証明するものは無数にあるが、

 最も印象的なものはオリンピアスが駆使した「蛇」である。

 それは4000年前のバビロンの『ギルガメシュ叙事詩』に、

 英雄ギルガメシュが退治た大蛇として登場するのを最初に、

 ギリシャ神話ではアポルロンが退治た大蛇ピュートーン、

 ペルセウスに倒された海の怪蛇、

 インド神話ではビシュヌー大神に仕える八俣の大蛇アナンタと、

 乳海攪拌の綱・バースキー竜や、八大竜王、

 クリシュナが退治た多頭の怪蛇、

 繹迦を保護する7俣の大蛇、

 ジャワ神話のアジサカ王子と竜王、

 北欧・ドイツ神話のジークフリートの竜退治、

 イギリスその他の国々のセント・ジョージの悪竜退治などが、

 全て皇祖・素戔鳴尊の八俣の大蛇退治と、

 深い血縁関係をもっているからである。

 ことにジークフリートは、

 その『八俣大蛇物語』の子孫であるとはっきり立証済みである。

 それは我が会員の財津画伯や私の現住地の北、

 丹波丹後に多いとヒトラ(日虎・一良など)姓などが、

 欧州にザイツ、ヒトラーという姓などとして、

 たくさん実在しているからである。

 邪久=ジク(琉球)フルヒト(扶余人)を南九州訛りで

 ジークフリートと発音する人たち「フン=旬奴(フヌ)」族が、

 370年代にボルガを越えてヨーロッパに侵入、

 あのゲルマン大移動を起こさせ、

 ハンガリー、フィンランドを建国した史実が、

 すでに詳細にわかっているのだ。

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2013年7月19日金曜日

天皇家の信仰の本質と成長過程


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:29頁

 こうした事実と、

 これまで見てきた我が国の古代信仰の遺物とを考え合わせると、

 皇室の信仰は、

 まず古くシュメルに始まった宗教だった。

 それは「スメロギ=シュメル王(ギ)」という称号その他の遺物が、

 バビロンの滅亡で四散したカルデア人=カリエン人の一部が

 台湾・沖縄に宝貝王国を建設して栄えた事実を、

 歴史と大量の遺物、文化財が教えている。

 次いで、

 紀元前4世紀にアレクサンドロスの東征を引き継いだギリシャ人が、

 与那国島を皮切りに琉球列島から北上し、

 高族の政権と合体、継承したためギリシャ信仰が重なった。

 またインドからウッタラ第1次仏教宣布団が、

 中国地方から東海に銅鐸時代を展開、そ

 れと並行してシンドゥ教が広まったあと、

 後漢の孝桓帝、孝霊帝のころ、

 第2次仏教宣布団のソナカが沖縄を経由して南九州に上陸、

 卑弥呼と結婚して仏教をひろめ、

 ソナカの戦死後、

 卑弥呼を女王とする大倭人達邦が確立して長期政権が続き、

 三国時代の動乱の余波で卑弥呼政権が敗北移動した後も、

 さらに様々な政変はあったが、

 倭国は所を変えて存続し、

 次第に東遷して近畿に至り、

 聖徳太子時代を頂点とする仏教時代を現出、

 大化政変以後もなお仏教の様々な教義を加えて

 渾然(こんぜん)と一つになったものなのである。

 だから皇室の信仰を「神道」と呼ぶのはいいが、

 それをシンドゥ教だけだとするのは大きな誤りである。

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2013年7月18日木曜日

女性名の「〇〇子」はオリンピアスの遺物


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:28頁

 宮廷風俗をみても多くの国々の文化をこだわりなく受け入れている。

 それは20世紀の軍国主義者が唱えた「侵略八紘一宇」ではなく、

 アレクサンドロスの「愛の八紘一宇」である。

 視点を変えてみるとオリンピアスは別の遺物を今も日本に充満させている。

 天照大神宮はアマ・ゼウス・オリンピヤが語源で、

 大神宮はウジンビヤからウジンミヤに

 発音が変わった土地で付けた当て字だとお話しした。

 光明皇后の「光明子」もこれと同じ原理で謎が解ける。

 明子の昔の振り仮名は

 ミヤゥシかミヤゥスだから、

 ビヤスやミヤスが原音だといえる。

 日本女性に圧倒的に多い〇〇「子」という女性語尾は

 オリンピアスの女性語尾「ス」と同じで、

 オリンピアスの記憶から生まれた

 ギリシャ型女性名詞の名残だといって間違いではない。

 そしてさらにこのことが

 卑弥呼の「弥」を、なぜ「ヤ」とも読むのか?という謎にも答えてくれる。

 オリンピアスのオリンは日本女性の名にもあるが、

 オリンはウジンで大神という当て字だから、

 「大神卑弥(ヤ)子」と書くと「オリンピヤス」と一致する。

 卑弥呼から卑弥子に当て字が変わるのは不思議ではないから、

 オリンピアスの名は、単にオリンさんだけでなく、

 ミヤズヒメ=宮姫、

 ミヤコ=都などを新たに生み、

 御息所(みやすどころ)

 (天皇の寝(やすむ)む所、という意味から、

 皇子・皇女の生母を指し、皇太子妃・親王妃も指す)

 にもなって残っているのである。

 《女性名の「〇〇子」はオリンピアスの遺物
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2013年7月17日水曜日

愛の世界帝国実現の大理想の証し『欧亜結婚』


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:26頁

 それは未だに全世界に「国境」という鋼鉄よりも硬く冷たい姿で立ち塞がっている。

 真の「愛の八紘一宇」が実現する日までそれが消えることはないが、

 アレクサンドロスのほうは、

 そのお陰で父が殺されて、

 王位と大元帥が同時に転がりこんできた。

 20才だった。

 彼はそれまで実母オリンピアスの味方で、

 父が次々に妃を作っては子供を生ませて後継者候補を殖やし、

 皇太子としての彼の地位を不安定にしていくのを憎んでいた。

 彼は父の戦闘現場から伝えられる戦勝報道が国民を沸かせるたびに友人らに

 「父は皆、先取りしすぎるよ。君らや僕には大事業は残さないっもりさ」

 と皮肉ったと『英雄伝』に書いてある。

 しかし彼は、

 徳川家光が真似た

 「余は生まれながらの将軍である」というセリフを吐いて、

 母と父の主張の壁を一刀両断に斬り捨てた

 「愛の八紘一宇」実現に勇躍してペルシャへ進軍して行った。

 そしてペルシャを取り、

 スサノオの語源になったスサで

 「人種の壁を除去して

  人類を一家に融合する愛の世界帝国実現の大理想の証し」に、

 「合法かつ正当な結婚により生まれてくる子孫によって、

  欧亜を永遠に一つに融合するのだ」と、

 彼は皇帝ダリウスの娘と結婚し、

 都下の将軍たち90人と、

 数千人のマケドニア兵士が、

 それぞれペルシャその他のアジア人女性たちを同時に

 花嫁にする巨大結婚式を挙行した。

 有名な『欧亜結婚』である。

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皇室にみる「愛の八紘一宇」


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:27頁

 アレクサンドロスはサマルカンドでも王女・ロクサーヌと結婚している。

 彼自身は病気のためインドから引き返したが、

 その理想であるアジア遠征は、

 その部下たちに受け継がれて、さらに東へ広がって行った。

 それは我が国在来の史学では無知のままに放置されてきたが、

 本講ですでに確認した通り、

 我が国にも無数の遺物を残していて疑問の余地は全然ない。

 これが卑弥呼から壹與、光明皇后、

 さらに現代まで続く天皇家の伝統や、

 巨大神教を作る思想と技術とを

 仏教にまで色濃く残しているギリシャ型信仰と、

 思想の実体なのである。

 ギリシャ型信仰の特徴は、

 女性による神託と、

 次々に優れたものを排他牲なく取り入れて、

 さらに改善する進歩思考にある。

 それはアレクサンドロスの大理想であり大方針でもあった。

 沖縄に現存する

 巫女「ノロ」は頭にギリシャ独特の月桂冠をつける。

 ノロはノルで「宣(の)る」すなわち神託である。

 天皇の言葉「ミコトノリ」も本来は、

 この女帝による神託だった。

 卑弥呼は仏教を受け入れ、

 後世の国教も神仏を共に排斥しないで来た。

 正倉院の御物(ぎょぶつ)などの欧亜混交の宗教用文物は、

 これまで美術の珍品、

 古物愛好者のコレクションていどにしか

 扱えない学者しかいなかったが、

 天皇たちの根本思想が、

 偏狭なナショナリズム(ヒトラー的民族主義)などでなかったことを、

 何よりも雄弁に語る真の宝物なのである。

 《皇室にみる「愛の八紘一宇」
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2013年7月15日月曜日

ギリシャの血が伝えた宿命の思想の激突


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:25頁

 プロウタルコス(プルタークは英語読み)は、

 オリンピアスの動機を、

 その直前に夫が妃にしたクレオパトラへの嫉妬であるとして、

 王に続いて妃とその幼児が殺された事件を証拠として挙げているが、

 現在の私たちから見れば、

 それらは独裁君主制のあるところ全世界で無数に同じことが起こって、

 その欠陥を立証している「お家騒動」の一つでしかない。

 「君主制」というものがどうなったかは、

 20世紀だけみても、

 どれだけの国々が「王政」から「民主制」に、

 国民が奴隷から「主権者」に変わったか、一目瞭然である。

 その中には逆の思想だったはずのヒトラーもスターリンまでも入っている。

 プロウクルコスには衝撃的でも

 私たちには無視すべきことで、注目が必要なのは、

 「愛」と「暴力」との思想の激突が古代ギリシャの「政権内」で、

 すでに始まっていたという史実のほうなのである。

 それがギリシャと隔絶した、

 これまで全く無関係とされてきた古代日本に、

 そっくりの形で起こった。

 しかし私たちは

 古代インドを介してギリシャ文化が

 倭人に大きな影響を与えていた事実を

 次々に発見し続けてきた。

 卑弥呼と位宮の間に立ちふさがった思想の壁は、

 東海の孤島で突然発生した知性の産物ではなく、

 彼等の血に流れている遺伝子(DNA)同様、

 父祖から受け継いだ哲学の逆流が激突して作った、

 宿命的な障害物だったのである。

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2013年7月14日日曜日

歴山大王の父を暗殺した母・オリンピアス


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録25:24頁

 B.C.E.336年には、当時、

 東洋そのものだった大ペルシャ帝国を併合して

 世界国家を実現しようという彼の夢が認められて、

 彼は対ペルシャ戦の大元帥こ就任、

 その先鋒軍が多産海を渡って侵入を開始した。

 先に神武天皇の「八紘一宇」はアレクサンドロスの思想だとお話ししたが、

 より正確にはプヒリプの理想であり夢だったのである。

 プヒリプの妻の弟・エピロス王がプヒリプの娘と結婚する日、

 プヒリプは上機嫌で式場を進んだ。

 親衝隊の一人の将校が彼に近づくと、

 突然剣を抜いて彼を刺し殺した。

 真犯人は別にいた。

 それを命令したのは彼の妻で

 アレクサンドロスの生母、王妃オリンピアスである。

 オリンピアスはマケドニアの隣国・エピロスの王女だった。

 サモトラキアの祭りで会った二人は熱烈な恋愛結婚をして

 3年後にアレクサンドロスが生まれた。

 『英雄伝=対比列伝』の著者Ploutarcos プルタークは、

 英雄を賛美する側だから王妃のことを悪く書いているが、

 彼女は伝統的なギリシャ教の巫女で、

 蛇を使って神託を下すことで国民に崇敬されていた。

 卑弥呼や壹與を知る上で欠かすことのできない大先輩なのである。

 彼女は蛇でさえ愛する平和主義者だったから、

 あくなき支配欲に駆られた夫が多くの国の人々を殺し、

 味方の戦死者の家族が嘆き悲しむのを見て、

 夫を悪鬼のように非難憎悪する妻に変わっていたのだった。

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