2013年11月9日土曜日

『三国史記』が描く伊声耆の日向での死


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:10頁

 卑弥呼を倒した位宮が、

 その位宮=琉球(イク)という名乗りだけでなく、

 伊佐知(イサナチ)命という名乗りからも、

 沖縄以外にない「キをチと発音する」言語の証拠と、

 当時は南九州以外になかったイサナキ=伊是名(島)王か

 伊佐(鹿児島県伊佐郡)王の名乗りを

 もっていたという事実上の証拠が重なるが、

 さらに邪馬壹国の筆頭官名・伊支馬(イチマ)は活目(イキマ)で

 南九州語ならイケマ、

 沖縄に池間島が現存して全て彼の居住証明になっている。

 彼の本拠・狗奴国も、

 攻め込んだ卑弥呼の倭国も近畿圏などでは絶対になかったという証拠が、

 この様に充満しているのだ。

 では、伊是名島王か伊佐郡王か?。

 大学講義録25でお話しした位宮が高句麗王になったあの事件は、

 『三国史記』に、

 兄の発岐(ハツキ=羽月=鹿児島県伊佐郡の地名)が、

 位宮が高句麗王になったのを憎んで攻めたが、

 位宮が尊敬されていて誰も発岐に味方しなかったため、

 遼東(りょうとう)に逃げて公孫氏に軍隊を借りて攻めてきたのを、

 末弟の罽須(ケイス)が迎え討って撃破したので、

 発岐は斐川に逃げて自殺したと書いてある。

 当然、兄の発岐が伊佐王(イサナキ)だった。

 『魏書倭人章』が卑弥呼側の主要人物と書く「伊声耆」は彼で、

 伊声耆が伊佐郡から日向へ逃げたことも詳しくお話しした。

 彼が死んだという斐川(ヒカワ)は、

 狗奴国=屋久島発音だと「ヒコウ」。

 これは日向と当て字してもヒコウだから、

 間違いなく彼が伊声耆なのである。

 『三国史記』が描く伊声耆の日向での死

 『三国史記』が描く伊声耆の日向での死

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