2013年11月20日水曜日

ヒルコの尊の正体と明(アカル)の官の位置確認


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:5頁

 この『日本書紀』の淡島抹殺を、

 卑弥呼の後継者として女帝の座を回復し、

 卑弥呼以来の女王制を自分が君臨する最大の理由にした、

 持統・元明・元正の3天皇が、容認するはずがない。

 旧倭国の貴族ら18氏の『纂記(つぎぶみ)』を提出させて

 「一書」として挿入したので、

 唐人にも国民にも、その君臨の根拠を示すことができた。

 視点を『日本書紀』の誕生に置くと、

 僅かな淡島記事が果たした役割はこれほど大きい。

 このことをよく理解しておいて載きたい。

 では水蛭子(ヒルコ)は何を意味する何語か?。

 この原名はパーリ語の

 ビローチャナ Viroana 日・太陽・昆盧遮那仏(ビロシャナブツ)=大日如来(だいにちにょらい)で、

 沖縄語ではビルチャナ、

 奄美語ではヒルキャン、

 種子島語でヒルコーになるから

 『記・紀』の筆者が「水蛭子・蛭児」と当て字したのである。

 ところが南九州語で

 蛭(ヒル)はヒー、

 日も昼もヒー。

 ヒルコはヒーコ。日子。

 沖縄語ではビク、何のことはない、

 それは男性仏教徒を指すパーリ語「比丘(ビク)=卑狗」と同じ発音になる。

 本来は大日如来を意味していたソナカの名乗りが、

 やがて男性仏教徒を指す代名詞の比丘と混同してしまったのが

 「毘古・日子・彦」で、

 中世には乞食妨主の意味にまで成り下がった。

 また日はマレー語でハリ。

 巴利(パーリ)国の中世音と一致する。

 これは薩摩がマレー語で壹国(サツマ)なのと同じで、

 南九州にマレー語を話す住民がいた証拠が、

 今もはっきり残っているのである。

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