2013年11月17日日曜日

ギリシャの南海渡来は始皇帝以前


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録29:26頁

 秦の始皇帝が夢見た

 「不老不死の南海の神仙」とは、

 B.C.E.327年のアレクサンドロス大王インド征服後、

 さらに東に移動して新タイナロン・台湾から、

 南中国や流球列島に土着したギリシャ人たちのことであり、

 彼らがデルポイ総合病院を経営していた、

 その誇大なCMを方士が伝えたものだったのである。

 しかし残酷な征服王・恐れるものなき独裁者・始皇帝は

 B.C.E.210年天罰てきめん旅先で死に、

 一塊の腐肉(ピュトン)と化して阿房(アホウ)宮へ戻った。

 阿房は阿日王(アホウ)という日本語で、

 アポロンのことであり阿呆(あほう)の語源。

 アホとは始皇帝を皮肉った日本語である。

 こうみてくると、

 稗田阿礼や天武天皇が立証する我が国の古代ギリシャ文明化は、

 始皇帝時代以前に南海で始まっていたことが、はっきりわかる。

 始皇の強権独裁地獄政権を実際に倒したのは、

 方士(ほうし)=法師(ほうし)=坊主(ぼうず)=ソナカ仏教宣布の先遣団だったのである。

 では余白を使って、関係名詞が日本に残っているか見てみよう。

 レトの沖縄語発音はリツ、律(りつ)子・立(りつ)子は

 今も普通にある女性の名前。

 へラの沖縄語発音はヒラ・ヒダ。

 日羅・枚聞(ひらきき)・枚方(ひらかた)、平田・平野などと

 日高、日田・飛騨(ひだ)が

 その子孫である。

 デルポイは南九州発音デイボッからデイモッ、

 当て字すれば「出(デイ)+モ」=出雲。

 だからこそ佐太の大神は出雲の神様なのだ。

 デルポイはパルナッソス山の麓にあるが、

 この山名も群馬県に榛名山(ハルナサン)の名が残っている。

 ギリシャの南海渡来は始皇帝以前

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