2013年10月12日土曜日

『一書』の証言『日本書紀』は天武製ではない


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:26頁

 こうして事実が明らかになると、

 天武天皇が唐向けの威嚇用歴史書として企画したものと、

 今みる『日本書紀』との間にはかなりの違いがあることが見えてくる。

 なぜなら天武天皇は「唐向け」に編集させたはずなのに、

 そこには多数の『一書』が入っている。

 唐向けなら、その歴史の内容はあいまいでなく、

 しっかりした権威のあるものにしなければならないから、

 確固とした一つの記事だけを書いた

 「決定的な史書」にすることが至上命令なのである。

 それなのに現実の『日本書紀』には多数の『一書』が並べられていて、

 「どれが本当だか、わからない」という実に頼りないものになっている。

 現在残っている『日本書紀』は天武天皇が編纂させたものではない。

 しかしその内容は、神話部分以外には『一書』はなく、天武企画に合っている。

 これは誰かが、もとの本に手をいれて、

 編集し直させたものであることは疑いない。

 一体?誰が?そんなことを、いっ?したのであろうか…。

 その答は明瞭に記録に残っている。

 持統天皇5年8月に大三輪(おおみわ)ら十八氏に、 

 彼等が先祖代々伝えてきた家伝の古記録、

 いま私たちが

 『十八氏纂記(つぎぶみ)』と呼んでいるものを提出させたという

 『日本書紀』の記事によって、

 それらが天武天皇の死後に持続天皇の勅命によって、

 『日本書紀』の神話部分に、

 『一書』として追加編集された真相がわかるのである。


 『一書』の証言『日本書紀』は天武製ではない

 『一書』の証言『日本書紀』は天武製ではない

 『My ブログ』
 スメル8千年 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

 《装飾古墳
 「装飾古墳
 《考古学の最新発見
 「考古学の最新発見

0 件のコメント:

コメントを投稿