2013年8月22日木曜日

田尻が立証した天皇家の故郷と5世紀前後の奈良入り


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:3頁

 大学講義録26の31~33頁の

 全国の「田尻」リストが何を意味し、何を教えてくれるか。

 それは個々の田尻それぞれに命名の歴史がある。

 それを一つ一つ確かめるだけでも膨大な量の研究対象であるから、

 ここで安易に答を出そうとするのは間違いであるが、

 すでに出ている答もある。

 それは大量に分布した田尻は、

 漢字の表記は同一だが、

 発音が地域によって異なるという事実である。

 必要なものだけ挙げると、

 南九州語では「タジイ」と発音し、「タジヒ」と当て字する。

 沖縄には田尻はみつからなかったが、

 発音差をもとにその発音を構成してみると「タチー」になる。

 すると過去のご説明で、もうお気づきと思うが、

 これらの「タジ・タチ」は

 丹波・丹後・但馬の国名や橘の語源だった種子島に結びっく。

 リストには挙げなかったが田尻の真の語源は種子島であって、

 決してイタドリの花による個人名などではなく、

 万世一系の天皇家の名乗りの法則通り、

 「国名・地名による名乗り」だったのである。

 それだけでなく倭の五王の一人である反正天皇は、

 『宋書』「夷蛮・倭国」は442年に上表して、

 倭連邦国家の王と認められている。

 5世紀半ばである。

 そんな時代になっても、

 天皇の名乗りが「田尻」を「多遅比=タヂヒ」と

 南九州発音で呼んでいるのは、

 南九州から奈良への天皇家の移動が5世紀前後だという事実の、

 動かない大きな証拠の一つなのである。

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