2013年8月17日土曜日

種子島以外にない反正天皇の誕生地


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録26:28頁

 仁徳天皇が阿波に都したのは、その晩年である。

 先にも検討した通り、

 彼が若い時に大阪に都したというのは錯覚にすぎない。

 徳島より西にある難波国は、

 ナのハ国(マ)で、ナがハ国(マ)でもあるから、

 今の愛媛県長浜町あたりであった可能性が高いが、

 反正天皇の母は仁徳皇后・磐の媛で、

 正妻だからいちばん最初の夫人に当たり、

 両親の若いときの子である。

 まだ徳島には来ていない。

 愛媛こは淡路はないから、

 そのタジは間違いなく種子島である。

 これは別の記事でも立証されている。

 それは「多遅花」である。

 多遅(たち)花はタヂバナに対する当て字である。

 これも幾度もご説明した通り、

 種子之国(シマ)→種子国(タジマ)→但馬→タンバ→丹波→タ津(ン)バ国(ナ)→

 タ津(チ)バナ→橘・立花

 で同じものだから、

 種子島からの移動コースは地名でたどることができる。

 その生き証人としては、

 種子島が史実の中心舞台であり、

 物語の発生地だった

 『浦島物語』が、『丹後国風土記』によって世に知られ、

 その舞台が

 京都府の竹野郡網野町あたりだとされている事実があって、

 人々が移動した-コースを証言している。

 多遅花は虎杖(イタドリ)で、

 スイバ、マムシ草、スカンポなどの別名がある。

 郊外には野生しているから初夏にでる若芽の色や形、

 模様が、毒蛇の蝮に似ていることをよくご存知だと思う。

 だがなぜ?それがタジヒと呼ばれるのか?。

 考えてみる必要がある。

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