2013年2月8日金曜日

卑弥呼の奈良在住を否定する箸墓説話



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:16頁

 《卑弥呼の奈良在住を否定する箸墓説話
 「卑弥呼の奈良在住を否定する箸墓説話

 以上で箸墓の由来説話は、

 雄略天皇=倭王・武が上表した478年より後に改作した、

 新タイプのものだったことが明瞭にわかる。

 その名も漲水嶽が南九州で「水張り岳」と訳されて

 「ミッハィ岳」と鹿児島語発音が固定した後に、

 さらに移動して「ミハ山」と当て字されたものが、

 近畿発音で「ミワ」山と読まれて「美和山」になり、

 その後「糸が三輪残った」という解説が考案されて三輪山になった。

 このほうが大学講義録15の御倭(ミワ)説よりも、より有力だ。

 これは大和朝廷が沖縄・南九州人の政権でなければ

 伝わるはずのない伝承である事実と、

 沖縄を出発して奈良に定着するまでの、

 距離と時の経過が長いことを明確に証言している。

 こんなに伝承とその改作の筋道が明白である以上、

 卑弥呼が奈良に住んでいて彼女が体験した事件が、

 そのまま三輪山伝説になったとか、

 奈良での史実が、

 なぜか宮古島だけに伝わつて変形したなどとは到底考えられない。

 箸墓の話はやはり後世の雄略皇后「ハシ姫」の墓名を説明しようと、

 『漲水嶽神婚説話』の遥かな子孫を利用してコジつけただけのもので、

 卑弥呼とは何の関係もない

 「誤報・埋め草記事」だったという事実が誰にでもわかる。

 『記・紀』の記事は神武東征記事が代表して立証するように、

 時代も人物もお構いなしに、

 手当たり次第に合成して作り上げたものが多いことは、

 すでに多数の実例で確認済みである。

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
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