2013年2月27日水曜日

観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録21:3頁

 《観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相
 「観世音菩薩経はいつ出来たか、その真相


 観世音は卑弥呼のマレー語名だといっても、もう一つ疑問が残る。

 それは大学講義録20でお話しした『十一面観音経』のほかに、

 『観世音菩薩経=観音経』や『高王観世音経』というものがあり、

 経とは釋迦が信者に話した説法を記録したものだから、

 観世音の名は卑弥呼よりはるかに古い釋迦の時代からあった名だと、

 これまで信じられていたからである。

 しかし観世音という仏名だと思われていた

  Avalokitesvara アヴァロキテスヴァラ とは、

 仏の御利益(ごりやく)の内容を圧縮したキャッチフレーズだったことは、

 大学講義録20でおわかり戴けたと思う。

 その『経』を訳して『観世音菩薩普門品(ふもんぼん)』と名付けたのは、

 中国西域の楼蘭(ローラン)の西500余kmの都市国家キジール(亀慈)の

 Kumarajiva クマーラ ジヴァ(鳩摩羅汁)で、

 五胡十六国の一つ後秦の王・符堅(フケン)の捕虜になったが、

 405年 後秦の高官・姚興(ヨウコウ)に見出だされて国師とされ、

 長安で経74部385巻を訳し、

 408年に三論(さんろん)宗を開いた人物である。

 卑弥呼からは2世紀後で、

 南中国にも観世音(カシイ)信仰が伝わって盛んだった当時だ。

 中国人でない鳩摩羅汁は翻訳だけして聞かせ、

 中国人の筆記者が観世音菩薩と当て字したのである。

 『国王観世音経』は530年代に出来たもので、

 明(ミン)の学識貴かな高僧・蓮池(れんち)大師は、

 「北魏の皇帝を廃してロボットを皇帝にした

  極悪人・高歓(コウカン)に媚(こ)びて、
 
  国王と呼ぶような奴(やつ)が偽作したニセ経だ」と

 暴露している。


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