2013年2月21日木曜日

ポセイドンから普陀落への変身



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録20:29頁

 《ポセイドンから普陀落への変身
 「ポセイドンから普陀落への変身

 これまで詳しく検討してきた通り、

 飛鳥、春日、大和など旧地名の当て字を

 そのまま使って発音だけ変えるという、

 我が国古代独特の手法の早期の先例が
 
 「百済」のボセイドン→フダラ→クダラ→モズミ(百舌鳥耳)→

 フジ→ホズミ(穂積)→

 モモダリ(桃太郎)→モモダイ(桃谷)などで、

 卑弥呼の名乗り百襲姫の「百」も、唯一この百済しかない。

 これは4世紀より以前はまだクダラとは読まれず、

 ギリシャ語時代のボセイドンへの当て字音「百=ポ」で、

 「済」だけを「ダラ」と読み替え始めている。

 その理由はソナカ仏教宣布団がマガダを出発して南進し、

 前記のマドゥラなど南インドで教化に努め、

 スリランカ= Tambapannidipa へ入った Mahinda らと分かれて

 ボダラッカ山を聖地としたグループの一部が東へ船出し、

 東南アジアを布教しながら南九州までやってきた。

 そしてそこに観音信仰の本山を置いてボダラッカ山と名づけた。

 その地域の主力が沖縄語人だったので、

 母音「O(オー)」のない沖縄発音で「百」の発音が「フ」に変わり、

 さらに「済」も「ダラ」と読まれることになり、

 不足する「カ山」を新たに補って「フダラッカ山」、

 すなわち後の「普陀落迦山」と同じ発音の当て字として使った。

 この推理は、その子孫がいまもその古い型の「フタラ」の名を残していて、

 この結論の確かさを強く保証している。


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