2012年12月3日月曜日

倭国独特の女王と天皇の関係



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録18:7頁

 《倭国独特の女王と天皇の関係
 「倭国独特の女王と天皇の関係

 このうちの誰が箸墓陵の被葬者なのか。

 皇后をよくみてみると、実に奇妙なことに気づく。

 それは『日本書紀』に、

 皇后・草香の幡梭姫は仁徳天皇の皇女だと書いてあることである。

 『記・紀』の系譜を信じるなら、

 雄略天皇は、父・允恭天皇の姉妹と結婚したというのだ。

 仁徳天皇が倭王・讃であることは、

 多くの証拠が揃っていて、もう疑いのない事実だから、

 讃と武がいた時代は『宋書』で確実にわかる。

 それには次のように記録があるからである。

 「高祖 永初二年 詔曰 倭・讃 萬里 修貢」。

 この永初二年は西暦421年である。

 武が即位した年は彼が上表した年で、

 順帝の昇明二年、478年で、この間57年経っている。

 讃は元嘉二年(425年)にも上表して間もなく死んだが、

 その年を紀は即位から87年目だと書く。

 彼は即位前に軍隊を率いて兄の大山守と戦い、その3年後に即位したから、

 最低に見積もっても百才以上まで生きたことになる。

 そんな父をもつ草香の幡梭姫皇后が、

 父・讃が死んだ年に生まれたと仮定しても、

 雄略天皇が即位した時には、皇后は53才になっている。

 しかし百才以上になった父に、実子が生まれることは絶対にありえないから、

 単純計算しても皇后は7~80才で雄略天皇と結婚したことになってしまう。

 しかもその間、子供を生んでいないし、

 結婚後も子供はなく、

 跡継ぎの清寧天皇は他の妃が生んでいる。

 『宋書
 「宋書

 『西暦421年
 「西暦421年

 『西暦425年
 「西暦425年

 『西暦478年
 「西暦478年

 『雄略天皇
 「雄略天皇

 『清寧天皇
 「清寧天皇

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